タタール人の砂漠

 

 

 

 若さをすり減らしてしまうという恐れ、あるいは今現在すり減らしてしまっているのではないか、という不安がおそらく多くの若者のなかに共通して少なからずあるのではないかと思われる。若さとは未来があること、その道がどこまでも続くかのように開けていること、希望と夢で胸が満たされていること、その時間があたかも無限にあるかのように思えること等、あげ始めたらきりがないが、要するに時間が無限にあるということだろう。そしてこの無限にある時間のなかでどう振る舞うのが正解なのか皆苦悩するのだろう。

 「タタール人の砂漠」に出てくる主人公のジョヴァンニ・ドローゴ青年も未来ある若者のひとりだ。彼が軍の将校としてバスティアーニ砦という山間の辺鄙な場所にある堡塁に着任するところから物語は始まる。バスティアーニ砦に向かう日の朝、士官学校の苦い日々を思い出しながら、将校に任官された誇りとこれからの日々への期待を胸に抱き、母のいる家を後にする。

 何年来待ち焦がれた日、ほんとうの人生の始まる日だった

 本文にもはっきり書かれている通り哀れなドローゴ青年は向かう先が滅多に敵も襲来しない辺境の地であるとも知らずにその朝を迎えたのである。

 しかし砦に近づくほどだんだん雲行きが怪しくなってくる。道は険しくなり、谷は狭まっていき、ひとり心細くなりながら進んでいると、偶然大尉を見かけ、主人公は思わず大声で声をかける。

 

 「大尉どの!」とうとう我慢しきれなくなって、ジョヴァンニは大声で呼びかけ、もう一度敬礼をした。

 「なんだ?」向こう岸から声が答えた。大尉は、馬を止めて、作法通りの敬礼を返すと、ドローゴに呼び止めた理由をたずねた。

         ~中略~

 ジョヴァンニは立ち止まり、手を口に当てて、精一杯の大声で答えた、「なんでもありません!ご挨拶したくて!」

 

 大尉と話す中で、ドローゴは自分が配属された砦がタタール人の砂漠と呼ばれる何もない砂漠の前に立っている、誰も行きたがらない無用の国境の部隊であるということを知る。そして砦にたどり着いた時、その不安は決定的なものとなる。

 

バスティアーニ砦は、城壁も低く、あまり堂々としていなければ、美しくもなく、塔や櫓もなくて絵画的とも言えず、その荒涼感をなごませたり、甘美な生活を思い起させたりするものはなにひとつとしてなかった。」

 

「彼は不意におのれの孤独を感じた。そして、快適な宿舎があり、いつも陽気な友達がそばにいて、夜の公園ではちょっとした冒険も楽しめるというような、そんな平穏な駐屯隊暮らしを想像していた間は、なんの屈託もなく抱いていた軍人としての自信、自分に対するあらゆる自信がだしぬけに消えていった。」

 

 ドローゴは砦に着くとすぐにマッティ少佐に出頭しに行き、自分が志願してここに来たわけではないということを少佐に伝える。そしてバスティアーニ砦を出るいちばん手っ取り早い方法として、病気ということにして年に二回ある健康診断のタイミングで軍医から証明書を出してもらえばスムーズに転勤できるのだが、次の健康診断まで4か月あるので少なくともそれまで待たなければいけないということになったのだった。 

 しかし、4か月経て軍医から証明書を貰おうというその日、ドローゴは医者の話を聞きながら窓の外を眺めているうちに、やはり気が変わり、その計画を自ら中断してしまう。

 

「ドローゴの頭の中を、青ざめたイメージとなって、故郷の町の思い出がよぎった、雨の中の騒々しい街路、石骨の彫像、湿っぽい兵舎、陰気な鐘の音、疲れの浮かんだ、生気のない顔、いつ終わるともなく続く午後、埃に薄汚れた天井。

 だが、ここでは、山の荘厳な夜が更けようとしており、砦の上を、奇跡の前兆のように、雲が飛び去っていく。そして、北からは、城壁の向こうの、目には見えぬ北方からは、自分の運命が迫って来つつあるのを、ドローゴは感じた。」

 

 彼は二度と訪れることもないやもしれぬ機会を、数か月の間にもたらした習慣による麻痺と、軍人としての虚栄によって根を下ろした城壁に対する親しみから、いとも容易く手放してしまったのだ。

 

 

 

 砦に配属されて数年たったころ、ドローゴは一度故郷に帰る。しかし同じ故郷でも時を経たことで何もかも変わってしまっていることに主人公は気が付く。

 

「おやすみ、お母さん」彼は廊下を通りながら言った。ドアの向こうの部屋からは、いつも通り、昔どおりに、どんなに夜遅く帰っても、夢うつつながらも優しく答えてくれる母の声がおぼろに聞こえたような気がした。すっかりなごやかな気持ちになって、彼は自分の部屋へ行こうとした時、母が何か言ったように思った。「なんですか、お母さん?」しんと静まりかえった中でたずねた。その瞬間、彼は遠くで聞こえる馬車の車輪の音を母の優しい声と取り違えたのに気付いた。母が声をかけてきたのではなかったのだ、夜遅く帰ってきた息子の足音も、もう以前のようには、母を目覚めさせることはできないのだ、時が経つにつれて、まるで足音自体が変わってしまったみたいに、母にはなじみの薄いものになってしまったのだ。

 主人公は親友の妹にも会いに行くが、やはり時間が経ったことによって壁のようなものを感じてしまい、お互いに以前のように打ち解けて話すことができなくなっていることを知る。

 

 

  

 慣例として、砦で4年勤務すれば新しい任地へ転任する権利が与えられるのだったが、ちょうどその頃将軍がバスティアーニ砦の軍の編成を多すぎるという理由から変えようとしており、ドローゴ以外の軍の仲間は転任願いを出していたが、ドローゴは編成替えのことを知るのが遅れて、仲間に出し抜かれ、結果4年目の転任のチャンスも逃してしまった。バスティアーニ砦の軍は半減され、時がたつにつれて、重要性を失っていった。

 時が経つほど、この砦にも何かあるかもしれない、いつか敵が襲ってくるかもしれないというかすかな希望と執着心のようなものが強まっていく。しかしドローゴがいた間に起きた大きな出来事といえば、隊からはぐれた兵士が一名、合言葉を知らなかったために、城門の前で味方に射殺されたことや、国境画定のための一隊に随行して山に登った将校が一名、雪のために凍死したことぐらいだった。

 

 それから更に15年の歳月がすぎてしまった。ドローゴも年をとり、昇進してジョヴァンニ・ドローゴ大尉となった。1か月の休暇を使いまた町に戻っていたドローゴは、やはり居心地の悪さから20日もたたないうちに砦に引き返そうとして、急な坂道を馬で登っていた、そのときだった。

 

 「大尉どの!」と叫ぶ声が聞こえ、振り向いてみると、谷の向こう側の道に、馬に乗った若い将校の姿があった。

  ~中略~

 相手が答えないので、かすかにいら立ちを感じながら、ドローゴはもう一度、「なんだ?」と、大声で繰り返した。

 鞍にまたがったまま、その誰ともわからぬ中尉は、両手をメガホン代わりに、ありったけの声で答えてきた、

「なんでもありません、ご挨拶したくて!」

 

「誰だね?」ドローゴは大声でたずね返した。

「モーロ中尉であります!」それが返事だった。

     ~中略~

 そのときようやく、初めて砦への道をたどった遠い日のことが、谷のちょうどおなじところでオルティス大尉と出会ったことや、誰か親しみを抱ける人間に無性に話しかけたい思いにかられたことや、そして谷を挟んでの気まずいやりとりのことなどが脳裏に蘇り、その反響が心を疼かせた。

 

 この若い将校との対話により物語の最初の主人公と、何もない砦でただ年を重ねてしまった主人公がわかりやすく対比され、時が経ってしまったという事実とそれにより起こった悲劇がより明確に強調されている。

 

 あの日とそっくり同じだ、と彼は考えた、ただ違うのは、立場が入れ代わっていることだ、今では何度目かバスティアーニ砦への道をのぼって行く古参の大尉はほかならぬ彼、ドローゴであり、一方、新任の中尉は、モーロとかいう見知らぬ青年なのだ。その瞬間にドローゴは世代がすっかりかわってしまったことに気づいた、今では彼は人生の峠を越えてしまい、あの遠い日に彼にはオルティスがそう見えたように、自分はもう年寄りの部類に入るのだ。生まれてこのかた四十年以上も経ちながら、なにひとついいこともなく、子もなく、この世でまったくひとりぼっちのジョヴァンニは、自分の運命が傾くのを感じて、愕然としてあたりを見まわした。

 

 

 さらに歳月は過ぎ、ジョヴァンニ・ドローゴは54歳になり、少佐に昇進し、砦の副司令官となっていた。

 それまでは変わらず健康だったが、次第に痩せはじめ、顔色は黄ばみ、体力も衰えだした。軍医は肝臓の機能障害だと言った。しかしドローゴは、まだ敵が来るかもしれないという望みを抱いたまま、退官までの残り数年を打ち捨てて故郷に帰る気も起きず、軍医にもとりはからってもらい、ぎりぎりまで砦に居座っていた。彼は全身の力が次第に弱っていくようだった。

 

 そんな日々を送っていると、さらにドローゴに追い打ちをかける出来事が起こる。それはバスティアーニ砦に何隊もの敵の兵隊が接近しており、いまに戦さがはじまるという知らせだった。二日もすればやってくるだろうという日にそれを知った彼は、長らくベッドに縛り付けられていた体を無理矢理起こし、必死の思いで、その様子を自分の目で見て確かめようとする。

 砦の一番高い所に位置する露台についたとき、ドローゴは新堡塁の上に煙が一筋たちのぼっていることを確認する。さらにそこに現れたシメオーニ中佐から、将軍の指令により、援軍が来るということも知らされる。そしてドローゴが恐る恐る望遠鏡を覗くと、たしかにそこには砦へと向かってくる軍兵の隊列が見えたのだった。

 

 気を失って一昼夜寝込んだ彼のもとに、ついに迎えの馬車が来てしまう。敵の軍勢はすぐそこまできており、砦の中がちょうど騒ぎになっているときだった。なおもドローゴは居座り続けたいと願い出たがそれもあっさり拒絶されてしまう。

 

 

 もう援軍の第一陣が到着して、ごったがえしている最中の砦の中では、痩せこけ、憔悴しきった、顔色の黄ばんだ将校がひとり、ゆっくりと階段を下り、入り口の廊下を通り、外へ出て、馬車の止まっている方に向かったところで、誰ひとり大して注意を払う者はいなかった。 

 

 あそこで彼は世間から隔離された生活を送ってきたのだ、敵をまって三十年以上も耐えてきたのだ、そして敵が来襲してきた今になって、彼はそこから追い払われたのだった。一方、彼の同僚たちは、町で安逸な、楽しい暮らしをおくってきた他の連中は、栄光を横取りしようと、傲慢にも嘲笑を浮かべながら、峠を越えてやってきているのだ。

 

  ただ年老いて砦から追い出される主人公だけ描くのではなく、主人公とは真逆の、将軍から援軍として呼び出され、いまから戦さに赴いていく、若く活気にあふれている大勢の将校たちを同時に描き対比させることで、主人公のみじめな状態をより強調しており、物語のクライマックスとしてなかなか秀逸な描写になっている。このような表現の手法はフローベールの作品にも似たようなものが見受けられ、たとえば「感情教育」のなかでは、暴動がおきている最中に逢引きしようとするシーンがある。これは戦場のラブシーンみたいなもので、主人公がしてる行為と真逆の状況をあえて作ることで主人公の行為を引き立たせるのにうまく役立っている

 

 さらにドローゴは、運ばれてきた旅籠の戸口でひとりの女とその赤ん坊を目撃する。

 

 大人のそれとはまるで違った、柔らかく、深い、そのすてきな眠りを、ドローゴは驚いたように見つめた。その赤ん坊にはまだ不安な夢も芽生えず、その小さな魂は、まだ望みも悔恨も知らず、静かな、澄みきった大気のなかを無邪気にたゆたっていた。

 

 赤子の様子を丁寧に描写することで繰り返し強調されていることはやはり年老いて醜くなってしまった主人公だ。

 そしてドローゴはついに旅籠のベッドのなかでひとりで死を迎え入れようとする。

 

 結局ドローゴが生きている間に重大な任務を果たす機会もあたえられず、ただいつかそんな日が来るのかもしれないというかすかな望みとともに送ったみじめで単調な砦での暮らしは、こうして幕をとじる。

 この物語のなかで、ドローゴとは、若さや無邪気さをすべてなにも起きない砦でただ時間を浪費することに捧げ、年老いて死んでしまうという、人生そのもののような存在の役割を果たしている。一周回って喜劇的にも思えるほど、どこにも救いもなく、ただ若さとは無限にあるものではなく、人生における時間も同じで、すべて限られたものだという事実を残酷なほど見せつけるかのようにして物語は終わる。

 一見すると本当に何も起きない、ただ主人公が長い人生を歩み老いて死ぬだけの小説なのだが、この小説のすごいところは、何度も繰り返し読むほど深い味わいがでてくるところで、というのも実際に読んでくださればわかると思うのだが、物語の最初から最後までに出てくる登場人物やその振る舞い等がすべて、意味のない箇所はなく順当に配置されているものだということが読むたびに伝わってくるのだ。本作は、青春小説とまでは言わないまでも、人生やそれに付随してくる若さもひとつのテーマとなっているとおもうので、ぜひ若い人にこそおすすめしたい一冊だ。